| 私にとって、美しい誤解ほど甘美な心地よさと不安が交錯するものはない。
ある時、職場で私の故郷が話題となったことがある。職場の上司が所用で長沼を訪問した。「君の町に行ったよ。牛と馬しかいないね。見渡すかぎり牧場だね」。その上司は少年時代に牧場のある町へ疎開したことがあるそうだ。「長沼はお米の産地、私はかじ屋」と言っても、目にした牧場の光景の方が記憶になじむようだ。今も何人かの同僚は私が牧場育ちと思っている。
ある朝、仕事で渋谷へ行った。訪問したビルの入り口に空き缶が転がっていた。何となく煩わしく感じ、その空き缶をポイッとけってしまった。そのままビルに入りかけたが、人目が気になって、缶を拾いに戻った。缶の捨て場はと思い、周りに目をやった時、ホール内にたたずむ婦人の視線に気が付いた。一瞬、緊張したが缶を手にしたままビルに入った。エレベーター前にある灰皿の上に空き缶を置いた。その時、婦人がかすかにほほ笑んだことに気が付いたが、そのままエレベーターに乗った。
婦人がそのビルのオーナー夫人であることを知ったのは、しばらく後のことだ。そのオーナーとの付き合いは二十年を超える。夫人が目にした光景が、「けり飛ばした様からか、拾いに戻った様からか」は、今も時折考えることがある。
私は今、ビルやマンションの管理の仕事をしている。中でも清掃は大切な仕事だ。
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