| デッキにひじをつき、分厚い手で下あごを包み込み、喜びを口元いっぱいにためた道産子がいる。
昭和四十八年。イトーヨーカドー、ダイエー等の大型量販店の北海道進出が本格化していた。その大型量販店との競合に、生き残りをかけて立ち向かい、多店化を進めた地元スーパーがある。姉婿を筆頭に兄弟四人が力を合わせ戦った。当時、私は札幌に勤務する駆け出しの商社マンだった。厳寒の二月。ある店舗用地に関する情報がもたらされた。即座に北区の現地に飛んだ。その日、出店をめぐる兄弟たちの議論は、資金の手当てから品ぞろえに至るまで果てしなく続いた。そこには、失敗の許されない「地元小資本」の重たい決断が待っていた。
張り詰めた日々が続いていたある日、盛岡にある地場百貨店の後継者が訪ねてきた。「盛岡市内にある青果市場の所有地への出店を巡り、某大手の量販店と競争している」という。兄弟たちの父が所有している青果市場の株式が勝敗を決めるとのことだった。兄弟たちが集まった。長兄が立ち上がり、「地元企業として同じ気持ちだ。私は協力する」。議論は即決した。ならば一日も早く盛岡へ。道産子企業の熱い心意気。私が同行することになった。
盛岡からの帰路、青函連絡船上のデッキでそう快にほほ笑んだその人は今、北海道の代表的な食品スーパーの社長として活躍している。
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