ポプラ並木 

読売新聞北海道版コラム 2001年3月28日(水)掲載 

ある廃業と退職

 退職のお別れ会で、「勤めた会社がなくなるのは寂しいもんだ。これからはこれまでずーっと支えてくれた女房に恩返しをするんだ」。青柄の社用ネクタイの結びをただしながら、女房への恩返しプランの詳細を語ってくれた先輩がいる。
 琵琶湖の湖畔にあった老舗ともいえるあるホテルの管理職である。比叡山を左望できる風光明美なホテルであったが、新設のホテルとの競合に抗すすべもなく、六年続きの赤字となり、社員一同の懸命の努力も甲斐なく廃業することになった。
 廃業が決まってからの先輩の仕事は、同僚・部下たちの求人依頼。近郊の都市への会社訪問が日課となった。幾人かは先輩の労が報われ、雇用の機会を得たが、幾人かは家庭の事情で地元を離れることが出来ず、職探しが続くことになった。廃業後も地元に残った人たちが、シーツや皿、はし立てにいたるまで、数万点に及ぶ備品類を、百畳に及ぶ大広間で一品一品丁寧に洗い、整頓する光景が半月も続いた。
 先日、ある葬儀の帰路、半年振りに再会した。先輩は、丁寧に黒タイをはずし、青柄のタイに結び直し、近況を語ってくれた。「犬の散歩が日課だよ。時折、ホテルのあった空き地まで遠出するんだ。毎日家にいると、女房との距離が難しくてな。でもな夫婦元気なうちに出掛けないとな」。目を細めながらほほ笑んだ。
 私は今、この先輩の仕事を手伝った日々がとても懐かしい。

※このコラムに関する、ご意見・ご感想がございましたら、こちらまでお寄せください。
コラムのもくじへ戻る
 
ITOCHU Urban Community co.,ltd.